ハワイ諸島は、もともと無人島だったようですが、4世紀前後に、マル ケサス諸島経由で第1波の移住が行われ、の
ち、10世紀頃以降に、今度は主としてタヒ
チから第2波の人々がやってきたのだといわれています。
ハワイ人の起源に関連して、よく出てくるキーワードが3つあります。
1つめが、ハヴァイキ。ポリネシアでは、ハワイでもタヒチでもほとんどの地域で、 じぶんたちの
遠い故郷はハヴァイキであったという言い伝えがあるのです。ところが、唯
一、サモアだけは、自分達のふるさとは、プロトゥという遠い世界だと伝えられています。
「死者の魂は、狭いつるつるの道を通ってプロトゥに帰る」という言い方です。と、いう
ことは、理屈で考えるとハワイをはじめポリネシアの人々の故郷は、まずはサモアにあったのかもしれま
せん。(画面の図もなんとなくそうなっているようです)
2つめがラピタ文化。ラピタ文化とは、土器の文化で、1950年代に、ニューカレドニアのラピタ遺跡
で土器が大量に出土したことからその名がつけられました。考古学者によれば、紀元前2000年頃、東アジアの海岸を旅立った海の民がいたよ
うなのですが、
紀元0年頃、サモアあたりまで広がったところで忽然とその姿を消してしまったようなの
です。そしてその後、サモア・タヒチから、アオテアロアやマルケサス、そしてハワイに
向けて旅立った海洋民族は、全く土器を持たない民族だったのです。もちろん、湿気も多
く、暑い太平洋諸国では、土器の寿命も短かっただろうとは考えられますが、この、いわ
ば「船にも乗る陸の民」が、突然「海の民」に変容した背景は依然として謎のままです。
また、余談ですが、ラピタ人は日本にもやってきて縄文人と呼ばれたのではないかという
説も有力なようです。
3つめは、南米文化の影響。1946年、ノルウェーのヘイエルダールによる有名な「コンティキ号」の
実験が行われました。南米からイースター島までいかだで漂流するという実験 で、その様子が「アク・アク」という本にもまとめられて、一時、
ポリネシア人の南米起 源説が一世を風靡したことがありました。しかし、その後の研究や実証で、南米起源説は 完全に否定されてしまいました
。なにしろ、「いかだ」とはいいながら、淡水化装置とか ラジオ、海図までフル装備した「いかだ」だったのですから、反論が出るのも無理あり
ま せん。ところが、ポリネシアの文化がアジア方面だけから伝播したとすると、説明がつか ないことがあるのです。その1つがサツマイモ(ハ
ワイ語ではウアラ)。この植物は正真 正銘、南米原産です。またもう1つが、ハワイに数多くみられるペトログリフ(岩面彫刻) です。これも
また、アメリカ大陸に類似のものが数多く見られるのです。