前章に引き続き、13世紀頃の話です。モイケハはカウアイ島で安定した政権を築き、
のちに安産の神として信仰を集めることになる「ホロホロ・ク」ヘイアウを建立したりし
ます。息子達もたくましく成長しました。しかし、時に触れ思い出すのは、タヒチにおい
てきてしまった弟オロパナと甥のラアのことです。
モイケハはついに決心し、三男のキラを代表に立て、豪勢な贈り物を持たせてタヒチへと
向かわせました。タヒチでは老オロパナも健在。ラアは頭角を現して酋長になっていまし
た。キラはしばらくタヒチに滞在し、オロパナの最期を見届けた上で、ラアを連れてカウ
アイに戻ります。
このときラアが伝えたのが「オヘ・カエケ」という竹の筒のドラムと、パフ・フラという
鮫皮のドラムで、これらはハワイのフラで用いられる定番の楽器になりました。(注)
とにかく、カウアイではラアを迎えて大歓迎の祝典が開かれます。ラアの故郷オアフの貴
族の娘3人がラアと結婚し、3人がそれぞれ無事に出産したのを見届けたラアは再びタヒ
チへと戻ったのです。ラアはタヒチでも子孫を残し、その系図は現在まで続いています。
ハワイとタヒチの双方で系図の検証ができるため、わりと正確に年代が推定できるのです。
ちなみに、ハワイ滞在中にラアが住んだのはカホオラヴェ島。現在でもカホオラヴェ島と
ラナイ島の間の海峡をケアライカヒキ(カヒキへの道)といいますが、その名がつけられ
たのは、ラアがここを通ってタヒチに戻ったからだといわれています。
(注)ラアは2度ハワイを来訪し、1回目の来訪で伝えたのが鮫皮のドラム、2回目に
伝えたのが竹のドラムであったという説もあります。(Fornander)