歴史に「もしも・・だったら」という考えは禁物だと言われますが、ハワイの歴史で、ど
うしても「もしも・・」と考えさせられてしまう女性が2人います。
1人目はバーニス(Bernice Pauahi Bishop)。
彼女は聡明な美人で、ロト・カメハメハ(カメハメハ5世)からも求婚されていました。
しかし、ハワイの王族同士の結婚に抵抗のあった彼女はそれを断わり、アメリカ人の若者
チャールズ・リード・ビショップと結婚してしまいます。1850年、バーニス18歳、ビ
ショップ28歳のことです。
結婚後、彼女は父パキ、母コニア、ほかの従妹たちから続々と遺産を相続していくことに なり、たくまずして、ハワイ全土の10%近くを個人所有することになるのです。 18
72年、病床のカメハメハ5世はバーニスを、今度は結婚相手ではなく、王位後継者 として指名を受けてくれるよう依頼しますが、バーニスはこれも固辞。夫ビショップと共 に
静かな生活を送ることを選んでしまうのです。
もしも彼女がカメハメハ5世の求婚を受け入れていたら、あるいは、カメハメハ5世のあとを継いで女王に即位していたら、
ハワイ王室の財政基盤は磐石となり、その結果、アメリカ系財閥からの不当な圧力などは、はねつけることができたのかもしれません。
ちなみに、バーニス自身も1884年に亡くなってしまい、夫のビショップが莫大な財産 を相続します。しかし、ビショップは全く驕らず、妻バーニスの名を冠し
た「バーニス・ パウアヒ・ビショップ」財団を設立、有名なビショップ博物館(正式にはBernice Pauahi Bishop Museum)をはじめ、カメハメハ・スクールなど教育や教会に莫大
な援助を続ける一 方、みずから保有することとなった銀行や不動産を通じて、カメハメハ3世からリリウオカラニにわたるハワイ王家6代をサポートし続けたのです。
ハワイ王国滅亡後、暫定政府や共和国政府からはビショップに対して再三協力要請があり、
入閣も打診されたようですが、それを潔しとしなかったビショップは引退してサンフラン
シスbコに隠居、1915年に亡くなるまで静かに暮らしたということです。