ハワイの神話と伝説~ハワイ歴史年表

下記、簡単ですが、ハワイ史の年表を掲載します。

時代区分は5つあり、最初の「有史以前」というのは、歴史が文字として記録される以前の出来事、 次が、ハワイ王朝時代。厳密には、ハワイ王朝の始まりの頃はまだ文字(アルファベット)は移入 されていませんでしたが、クック船長が初めてハワイに来航して記録を残した時期とハワイ王朝の はじまりの時期はほぼ同じで、この頃から「書かれた」記録を見ることができます。

続いて暫定政府時代、極めて短命でしたが「ハワイ共和国」だった時期があります。 その後はずっとアメリカの影響下にあったハワイですが、初期の頃はまだ州とは認められず、 1959年、アメリカ合衆国50番目の州として正式にハワイ州になりました。この頃から 日本からの観光客も増えていきます。




A.D.3c-5c  マルケサス諸島方面より、ポリネシア人渡来
A.D.10c-13c ソシエテ諸島(タヒチ)方面より、ポリネシア人大量渡来
         ハワイ諸島、ほぼ各島毎に豪族が群雄割拠
・・・・・・(伝承されている出来事)・・・・・・
8世紀頃  ウル王朝とナナウル王朝成立
11世紀頃 サモアから高僧パアオ漂着。ピリ王朝成立
13世紀頃 モイケハがカウアイ島で王位に
13世紀頃 タヒチからラア訪問。パフ・フラが伝わる
15世紀頃 ハワイ島でウミが王位に
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1778  イギリスよりクック来航。サンドイッチ諸島と命名
1779  クック船長、ハワイ島ケアラケクア湾で殺害さる







1795  カメハメハ1世(大王)ハワイ王国樹立を宣言
1810  カウアイ島恭順、ハワイ諸島統一完了
1817  カメハメハ大王没 リホリホ王即位(カメハメハ2世)
1820  宣教師団上陸
1824  リホリホ、ロンドンで麻疹により客死
      弟カウケアオウリ即位(カメハメハ3世)
      実権はカメハメハの妃の1人であったカアフマヌ摂政に
1825  カアフマヌ、ペレ否定、宣教師たちの時代へ
      1831までに5万人の先住民が告発された(全人口の2/5)
      さとうきびプランテーション、文化破壊進行、伝染病蔓延
1854  カメハメハ1世の孫、アレキサンダーリホリホが4世に
1863  弟ロッドカメハメハが5世に
1866  マーク・トウェイン来布。「Letter from Hawaii」執筆
1868  ハワイ人の人口激減対策で日本より無許可移民「元年者」渡布
1872  カメハメハ王家の血筋断絶
1873  ルナリロ王即位(議会で選出)
1874  デビッドカラカウア王即位
1881  カラカウア王世界周遊。日本にも立寄。移民要請、婚姻要請
1885  日本より官約移民開始
1893  リリウオカラニ女王幽閉、ハワイ暫定政府成立



1894  ハワイ共和国成立(ドール大統領)
      観光保養地としての再開発開始(法律61号成立)
1898  アメリカ合衆国、ハワイ併合







1901  モアナホテル完成
      アラワイ運河を掘削した土砂でワイキキを埋め立て
1903  ハワイ宣伝委員会(のちのツーリストビューロー)設立
1925  マティソン汽船(マロロ号)就航
      ロイヤルハワイアンホテル(ピンクパレス)完成
      ハワイ観光地化本格化
1935  ハワイコール(ラジオ)開始。影響大
      軍事基地ハワイとしての軍需景気
1941  日本、真珠湾攻撃。太平洋戦争勃発
1945  太平洋戦争終結。
      軍需景気の後退と共に、さらなる観光化、大衆化




1959  ジェット機就航。
1959  立州化。ハワイアンブーム
      ハワイアン・アイ(探偵物のTV番組)人気:1959~1963
1970  ジャンボ機就航
1970-  ハワイアン・ルネッサンスの動きはじまる
1976  ホクレア号第1回タヒチ航海
1980-  日本人観光客急増
1993  ハワイ王朝転覆100周年記念式典

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