マナという言葉は、アロハという言葉が翻訳しにくいのと同様に、単純に翻訳することが
できません。数年前、ハワイを舞台にした「マナに抱かれて」という小説が映画化されま
したが、その映画では、主人公がハワイの自然や、ハワイの人々とのふれあいを通じて得
られた回復力のようなものを「マナ」と表現していました。
マナとは、元をたどれば、「神が持っている力」ということで、強いマナというのはほと
んど超能力といってもよいものだったようです。ヒイアカ神話で、ヒイアカが数々の障害
を乗り越えて旅を続けることができたのも、ペレから伝えられた強力なマナが宿っていた
からだとされています。
人間界でも、酋長のクラスは、神々の直系であることから、偉大なマナを持っているとさ
れ、マナをあまり持たない平民がうかつに高貴な人々に近づくのは危険な行為であるとさ
れていました。強靭な肉体を持ち、強いリーダーシップを発揮し、戦闘やスポーツでは連
戦連勝、といったようなことは全て強いマナを持っているおかげなのです。
このように貴重なマナですが、マナの取り扱いを誤ると、マナは消えてしまうとされて
いました。そのため、マナを守るための厳格なルールがカプ(タブー)として定められたのです。
酋長クラスだけでなく、カヌー職人や僧侶、農民、などなど職業に応じたマナというのも
ありました。ただ、自分の持つマナと異なる職業に従事した場合などは、マナは神のもと
に戻っていったといわれます。
マナはまた、親から子へ受け継がれるものでした。しかし親と対等以上のマナを受け継ぐ
には、配偶者もまた、強いマナを持っている必要がありました。マナを持たない平民と結
婚してできた子供は、マナが薄まってしまうということのようです。
また、場合によってはマナは習得したり、他人からもらったり他人に与えたりということ
もありました。これはもっぱらカフナの技術によって行われたといいます。