■カプ(タブー、規制、ルール)
1819年、摂政カアフマヌによってカプは公式に廃止されたにもかかわらず、現在でも生き
た言葉になっています。カプとマナは切り離して考えるのが難しく、カプが敷かれる理由
は追求していくとどこかで、なんらかのマナを守るため、ということに行き当たります。
■酋長のカプ
酋長クラスは大変強いマナを持っているとされていました。ですので、マナの弱い平民ク
ラスとの接触は、マナが減ってしまう原因にもあるため基本的に厳禁でした。酋長の衣服
をいたずらで身に着けたりした平民は死罪だったようです。とにかく酋長の持ち物とか土
地とかは平民が触れてはいけなかったのです。
酋長の「影」もまたカプでした。影の中にはほとんど本人と同じマナが宿っていたとされ
ていたのです。酋長の影を平民が踏んだりしてはいけないし、逆に、平民が自分の影を酋
長の家に作ってもいけなかったといいます。
酋長が道を通るときには、平民は身を投げ出して土下座しなければいけませんでした。こ
ういったカプは平民にとっては当然重荷でしたが、酋長にとっても、極めて面倒くさいも
のだったといいます。
■女性のカプ
女性に対するカプはたくさんありました。男性と食事をしてはいけない、おおかたのバナ
ナは食べてはいけない(※)、漁の道具にさわってはいけない、ヘイアウに立ち入ってはい
けない、などなど。これは、マナのところでも述べたように女性の持つ強いマナを恐れ、
また保護するために設定されたようですが、また、昔ハワイの人口が多かった頃、出産制
限を意図して食べ物を制限したのではないかという説もあります。
(※)ほかにも、豚、ココナツ(形がクー神に似ているため)、赤身の魚、マンタ、海亀、
さめ、くじらなどが禁止されていました。ただし、非常に高いランクの女性に限り、特別
なシチュエーションでは食べることもあったようです。
■エコロジー的なカプ
魚類はハワイアンにプロテインを提供してくれる重要な食べ物でした。特にオペル(さば)
とアク(かつお)。これらの魚を絶滅させないよう、産卵の時期には厳重なカプがしかれ
ました。(オペルは1月から6月まで禁漁、アクは6月から12月まで禁漁)。主な漁場
は、魚を取り尽くしてしまうことのないよう、漁場全体にわたって禁漁期がもうけられま
した。ある漁場のカプが終わると次の漁場がカプになるという具合に運用されていたよう
です。
山の幸についても同じです。一定時期、立ち入り禁止区域が設けられ、入り口にはカプを
しめすクロスバーにカパ布がかけられました。また、飲料水の水源をきれに保つため、水
源になる池や滝などは原則として水浴がカプとされていたようです。
■その他もろもろのカプ
・音のカプ
戦いを祈願するヘイアウでは一切の音がカプとされました。近所の犬は口輪をされ、鶏は
鳴かないようにしつけられたといいます。
・職業的カプ
どんな職業にもさまざまなカプがありましたが、とりわけ多いのが漁業です。釣り針、釣
竿やネットや蛸壺などの漁具に女性が触れてはいけないのはもちろん、男が漁に出ている
間、家族は、絶対に喧嘩してはいけませんでした。(宗教的な理由とは違うような気もし
ますね・・)。船にバナナを積んではいけないとか、漁業の神クウラの色の赤色の服は身
に着けない、など様々です。これは逆に、漁がハワイアンにとって重要な仕事であったこ
とを示しているのかもしれません。
・衣服のカプ
他人の服を着てはいけないのは前述のとおりです。一度着古した服は、他人が身につける
ことの無いよう、焼くか埋めるかされました。
・家具のカプ
寝床は寝るためだけに用いました。枕も必ず頭を乗せるだけに用いました。間違っても、
足を乗せたりしてはいけません。
・定期的なカプ
昔のハワイのカレンダー(太陰暦:月の満ち欠けと連動)は、毎日必ず何かにとって吉の
日または凶の日になっており、日ごとに定められたカプがあったようです。これらのカプ
は、当然ですが、必ず毎月定期的に回ってきたのです。
・アウマクアのカプ
それぞれの家には守護神があり、これは、植物とか動物の場合もありました。例えば鶏が
アクマクアの家は、決して鶏を食べませんでした。これはもう何を置いても絶対のカプで
あったようです。