メネフネ・エピソード集

メネフネにまつわる言い伝えをいくつかまとめて書いておきます。

メネフネと巨人「プニ」
カウアイ島にはもうひとり忘れてはならない住人、巨人プニがいました。からだが大きく粗雑なプニは、メネフネの築いた石垣などを壊してばかりしていましたが、いつも償いをしようとして努力するので、メネフネとプニは仲良く暮らしていました。そんなある日、突然、オアフ軍がカウアイ島を攻めてきました。メネフネはプニに助けを求めますが、間の悪いことに、プニは熟睡中で目を覚ましません。どうにか起こそうとメネフネはプニに大きな石を投げつけましたが、その石はプニに当たってオアフ軍まで飛んでいき、命中。たいまつに照らされた巨人の姿と、またカヌーが打撃されたことから、オアフ軍は逃げ帰ってしまいました。無事、敵を追い払ってくれたお礼を言いにメネフネ達はプニの所へ行きますが、石のあたりどころが悪かったプニは冷たくなってしまっていました。メネフネは死体を囲み、声をあげて泣いた、ということです。


小人族「ム」
ム(Mu)はメネフネと同じく、毛深い小人です。メネフネが勤勉を絵に描いたような性格であるのに対して、いつも遊んでばかり、しゃべる言葉は冗談ばかり、という両極端の性格の人々だったということです。


メネフネの末裔?
1820年、当時の王、カウムアリイの命で国勢調査が行われたとき、カウアイ島ワイニハ渓谷に住む65人の人々が自分たちを「メネフネ」だと称していた、という記載が残っています。しかし残念ながら、彼らの身長は、ごく普通のハワイアンと同じであった、ということです。


メネフネの旅立ち
人々とはあまり交流の無かったメネフネですが、それでも年月の経つうちに混血の人々も増え、このままでは純粋なメネフネの数が減ってしまう!と危惧したメネフネの王は、カウアイ島から去って行くことを計画します。彼らは持てる技術の粋を尽くして「3層の浮島」を作って旅立ち、その後、ハワイにはいっさいの痕跡を残していない、ということです。
また、ハワイ諸島西北の彼方にあるネッカー島やニホア島にはメネフネがしばらく立ち寄ったことを示す建造物が残っているそうです。


ネッカー島全景(カウアイ島の北西500km) photo:Maritime center

ネッカー島に残る石造遺跡の1つ。 出典:Archaeology of NIHOA and NECKER ISKANDS

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